特攻隊 tokkotai | suzuki

鈴木さん

「猫またぎ飯」の訓練生活(三重)

三重での基礎訓練は毎日が辛い訓練の連続だった。そのおかげか一人一人は日々成長し、しばらくすると一人前になる。食事は「猫またぎ飯」と言われたように、猫もまたいでしまうような粗末なもので、いつも空腹だった。それゆえ、空腹を紛らわすためにエビオス(胃腸薬)を食事代わりに食べていたのだが、胃腸が強くなって余計に空腹を感じてしまい、逆効果だった。睡眠はハンモックでとった。夜中によくドスン!という音がして、落ちる人もいた。ハンモックは毎朝たたんで片付けなければならない。たたむのが遅かったりすると、罰として重たいハンモックをかついでグランドを走らされた。また隣でたたんでいる人が下手だと、ハンモックをまとめる紐が鞭のように顔に飛んできて、ビンタされたようだった。激痛であった。訓練がない日は、「上陸」といって、村長、郵便局、または裕福な家庭を下宿先として提供していただいた。お茶やお菓子をごちそうになり、畳でのんびりできる時間は本当にありがたかった。

「猪突猛進」の艦上攻撃 (台湾)

戦闘機、艦上攻撃機、艦上爆撃機の3種の乗員にはそれぞれ適性がある。戦闘機は、敵と空中戦をするので、操縦が派手でチャカチャカ元気のいい奴が多い。艦上攻撃機は、遮二無二魚雷を敵艦に当てるのが役目だが、それを成功させるには、敵の攻撃にたじろがず低空飛行で突進しなければならない。それゆえ肝の座った猪突猛進型の奴が多い。艦上爆撃機は急降下して爆弾を投下後、空中戦に参加していくので、戦闘機と艦上攻撃機の間といったところだ。私は猪突猛進型のうちの一人だった。

バツゲームでバナナ(台湾)

台湾では、基礎訓練の時代とは大違いで素晴らしい食事事情だった。バナナ、パパイヤ、パインなど、100円位でかご一杯に買うことができた。バナナなどは食べ飽きてしまって、トランプで賭けなどをして負けると、バナナを食べるのがバツゲームになるほど。基礎訓練時代には想像すらできない事態である。この豊かさの背景には高麗米が輸送できず、台湾内に余っていたという事情もあったようだ。地獄から天国に来たような気持ちになり、皆腹いっぱい食べながら、まるまると太っていった。

御通夜の晩に到着 (神ノ池)

台湾からはるばる神ノ池基地にやってきたが、特殊部隊だと予感してはいたものの、状況はよくつかめていなかった。神雷部隊という自分が所属する部隊の名も入り口の看板で始めて知った。しかも、到着したその時は、訓練中に殉職した刈谷勉大尉の御通夜の真最中だった。「大変なところに来た・・・」と正直思った。どんな部隊なのか聞いても、「明日、飛行場へ行けば分かる」と、詳細は教えてくれなかった。秘密にしていたようだ。翌日、飛行場で、野中五郎隊長に、「鈴木少尉、只今着任しました」と、挨拶をしたが、野中隊長からべらんめぇ調で、「遠路はるばるご苦労さんでござんす」との言葉をいただいた。「よろしくお願いします」と申し上げるべきだったところを、転勤途上の口癖で「願います!」と言ってしまったので、野中隊長の隣にいた湯野川(現在も親交が深い)に渋い顔をされた。それでも野中隊長がにこにこ笑っておられたのには恐縮した。

これが桜花か・・・(神之池)

初めて桜花を見たときは皆びっくりしたようだが、私には、大きな魚雷に翼と操縦席が着いたものと見え、わりと冷静に「これが新兵器か」と思った。親機に乗る陸攻隊、子機の飛行隊の隊員達は、もともと違う基地で訓練されてきたが、神雷部隊の基地、神之池では訓練を共にした。それゆえ固い絆で結ばれ、任務の違いはあったものの一心同体だった。これは、子機を切り離した後の親機が、子機だけを見捨てて帰還することがとてもできず、自らも特攻となって敵艦に体当たりするという事態を生んだ一つの要因となってしまった。親機にはベテランパイロットが多かったので妻帯者が多く、このような危険な部隊に属していることを、当時の私は気の毒に思っていた。

桜花搭乗員の訓練(神之池)

1944年8月、志願を募った海軍は10月に第721航空隊、別称神雷部隊を創設、かねて志願者の中から約200名を厳選入隊させ、早速桜花搭乗員の訓練に入った。集ってきた搭乗員は筋金入り。短期間の訓練で桜花搭乗員練度A(あらゆる状況で作戦可能な者)のパイロットが多数誕生した。11月末に平野第1分隊、三槁第2分隊、湯野川第3分隊、林第4分隊の編成を行い、平野分隊はこれから入隊してくる搭乗員の桜花パイロット養成教育の任につき、他の3箇分隊は作戦分隊になると達せられた。上層部は南方地域に配置しようと、空母「信濃」などを桜花の輸送任務につかせたが、敵潜水艦に撃沈され計画は挫折。桜花隊員は足止めをくらい、空しく神之池で新年を迎えてしまった。一方、桜花の操縦のしやすさを知った上層部は、かねて志願中の練習航空隊を卒業したばかりの予飛14期、甲飛13期、特乙4期生の150名を含んだ約200名を入隊させ、私の所属した平野第1分隊員に教育をゆだねた。そして1945年2月15日、戦闘部隊である神雷部隊と、私の分隊は分離し、第722空、別称龍巻部隊となった。これは練成部隊(後から来る搭乗員を教育する)として新設されたもので、私達は神雷部隊と決別させられたと不安に思ったが、時期の到来を待つしかなかった。龍巻部隊の分隊は、従来の混成分隊から、平野1・3分隊、新庄2・4分隊へと編成された。私は平野第1分隊の分隊長となった。

わが友、土肥三郎(鹿屋)

先陣でいち早く九州に進出した私の同期生に土肥三郎がいた。彼は神戸出身で大阪第二師範学校を卒業、教師の卵だった。彼は私と良く気が合い、本当に良い男だった。私が鹿屋に着いた時、まっさきに彼の消息を尋ねたところ、二日前の4月12日に出撃してしまっていた。それも桜花特攻に大成功、親機も帰って来たという。私は残念な思いと彼の成功を喜ぶ気持ちで複雑だったが、親機の機長三浦北太郎少尉を探した。彼も同期生だ。宿舎とした野里村小学校小使室(現在の用務員室)、畳の敷いてある部屋のあがり框に腰かけ、一部始終を聞いた。これは桜花の戦果が報告された珍しい例だ。彼によると、帰還後、鹿屋の地下壕作戦室に呼ばれて報告したという。参謀達に、「本当に敵艦に当てたのか?」「船の種類は?」「本当に損害を与えたのか?」と根掘り葉掘り質問攻めにされたとのことである。あれこれ質問攻めにされても、はっきり分からないこともあり、「激しい戦いの中、そんなの分かるわけないじゃないか、自分で行ってみろ!」と言いそうになるのをこらえていたそうだ。このような話や土肥が成功したことを嬉しく思うといったことを聞きながら、感動した思いと残念な思いが交錯した。この三浦も第十次の攻撃で出撃し、帰らぬ人となった。あの時元気に話していたのに、三浦ももういないのかという感無量な思い。戦争の悲哀を感じた時でもあった。

いよいよ最前線!?(神之池→鹿屋)

桜花搭乗員の養成を続けた私にも、ついに時が来た。1945年4月14日、二機の輸送機で九州の鹿屋基地に到着。到着直後に「即時待機」命令を受けた時は、正直「今着いたばかりではないか。もう行くのか!?」と背中にバケツで水をかけられたようなショックを受けた。しかし、どうやら司令部は我々を爆戦として使いたかったらしく、桜花が操縦可能なものは温存され、急遽、龍巻部隊に連絡して、まだ桜花訓練が終わっていない13名が駆けつけ、我々を追い越して先に出撃してしまった。桜花攻撃ならば私が一番古株だ。今度こそ俺だと覚悟を決めた。しかし、私への出撃命令がなかなか下りない。言わば生殺し状態で非常に辛かった。分隊長に「早く私を出してくれ!!」と懇願したが、上官も部下達の出撃を見送るのが辛かったようで、「残る方がつれぇんだ!!!」と返された。そうしているうちに沖縄戦は終わり、桜花隊主力は北陸の小松基地に移動。ついに終戦を迎えてしまった。


Mr. Suzuki

入隊前
熱海の旅館の家に生まれた。
関東大震災を赤ちゃんの時に被災。危うく死んでいたところを助かった。そのことをよく聞かされていたため、命はもらったものという意識が刷り込まれていた。
幼い頃は女中たちにも可愛がれ、幸せに育った。
商業高校へ進み、将来は実業家になろうと思っていた。
自分では高校卒業後、就職することを考えていたが、突然の母の進めで早稲田大学専門部商科へ進学。受験勉強は半年!
早稲田では自動車部に入部。
徴兵検査では一度騎兵隊へ配属されたが、海軍の試験を受けて合格したため変更し、海軍へ入隊。

軍人基礎教育(4ヶ月)S.18 9月~
毎日が訓練、成長、しばらくすると一人前になる。
ハンモックで就寝。落ちる人もいた。毎朝ハンモックをたたむ必要があり、それが遅いとハンモックを担いでグラウンドを一周させられた。また、たたむのが下手な人が隣にいると、ハンモックをまとめる紐が鞭みたいに飛んできて当たったりした。
休日などは、上陸と言って、村長、郵便局、裕福な家を下宿先として提供してもらい、畳の部屋でのんびりすることができた。その時にはおいしいお菓子やお茶などを出してもらった。
食事は粗末でいつも空腹だった。空腹を紛らすためエビオス(胃腸薬)を食事がわりに食べていたが、余計に胃腸が強くなって逆効果だったかもしれない。
ある夜、早稲田大学卒業した者は、海岸に集まるようにと放送があった。行ってみると、早稲田出身の学生がたくさん集まっていて、その中の一人が、「我々は早稲田出身である。皆がんばろう!」といった内容のことを言って、皆で盛り上がった。

台湾高尾航空隊へ S.19 5~9月
フルーツ、食料が豊富で、皆太った。
実用機訓練(4ヶ月)。鈴木さんは艦上攻撃機乗りとして訓練。
        艦上攻撃(敵艦へ魚雷攻撃) 適性:猪突猛進の人、肝が座った人(敵の攻撃にたじろいではいけないから)
        戦闘機(空中戦) 適性:飛行機の操縦が優秀、ちゃかちゃか元気がいい
        艦上爆撃機(爆弾投下、空中戦) 上二つの中間
訓練での成績は良かった。
    理由: 訓練中、ある日、教官から初の単独飛行をするように言われた。前日までは、いつも横には教官がいた。申し出る者を募ったが、みな沈黙。そこで鈴木さんが「誰もいなかったら、私やります!」と申し出た。皆が心配して見守る中、離陸、旋回、見事に着陸した。その後、「単独飛行、終わりました!」と教官に報告した時、「良かったね。うまく降りたよ。」と言われた。その時は、やったあ!と思った。

台湾から茨城県の神雷部隊基地へ S.19 11月
移動の途中に熱海の実家へ寄った。母はものすごく喜んだ。特攻のことは話さなかった。
鈴木さんが神雷部隊到着した日は、訓練中に殉職した刈谷さんの通夜だった。えらい所に来たと思った。
基地では陸攻隊と桜花隊は一緒に訓練した。任務の違いはあったが、一心同体。
親機である陸攻隊に乗るのは、海軍のベテラン、妻帯者が多かった。
神雷部隊、第一回攻撃は全滅の悲劇に終わった。野中五郎さんは援護戦闘機が十分にない状況で出撃するのは成功の見込みがないと反対した。出撃の時、「湊川だ・・・」と言って出て行った。(楠正成のエピソードから)
S.19 11月、第一分隊(後輩の教育係)として、出撃を延期され、がっかり。
S.20 4月14日、ついに二機の輸送機によって鹿児島県鹿屋に到着。その時「即時待機」を命令された。正直「もう行くの?!」と思い、背中にバケツで水をかけられたようなショックを受けた。「最前線基地に来た。いよいよだ。」と思った。
しかし、なかなか出撃命令は下らず、生殺し状態。「早く出してくれ!」と上官に言うと、「残る方がつれぇんだ!」と言われた。





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